喜多八膝栗毛 春の陣

博品館劇場にて
柳家ろべえ 「道具屋」
柳家喜多八 「たけのこ」
柳家喜多八 「宮戸川
仲入り
翁家小花  大神楽
柳家喜多八 「景清」

ろべえ、いつにも増してボソボソと演りはじめる。特に、与太郎の叔父は感情を出さず低くボソボソ。ん、誰かに似ていると思って聴いていたら、こりゃあ三三じゃないか。そう思うともう三三のモノマネにしか見えない。最後のひげ抜きの客なんか、間といい、声のトーンといい、三三道具屋のパロディーかと思いましたよ。以前も同じようなことを書いたけど、「意図した落ち着き」というのはどうもあざとさが見え隠れしてしまう。若いんだから、もっと元気で伸びやかに演ってほしいと思うんだけどなあ…。

続いて喜多八は「たけのこ」。「おすわどん」だとか「茄子娘」だとか、喜多八はこの会では洒落た小品をよく掛ける。「たけのこ」も同じように軽くてシンプル。こういうのをサラっと演じて客をぐいぐい引き込ませるというのは並みの力量じゃあできない。こうした噺を楽しげに演っている姿を見ると、喜多八の落語観が伝わってくるようで嬉しい。と、思っていたら最後のネタは「景清」。喜多八で「景清」を聴くのは初めてで、これはちょっと意外でした。

というのも、景清という噺、ベタベタの人情噺として演られるとどうもしつこくって好きになれない。それだけに喜多八が「景清」?と思ったわけだが、杞憂でした。定次郎の開眼や母親の情(喜多八版では定次郎のために縞の着物をこしらえるのは母親でなく妻)ではなく、観音様に悪態をつく場面に噺の力点を置いていて、安易なお涙頂戴にしていないのがいい。日朝様で同じ境遇の娘にちょっかいを出す場面も喜多八らしく色っぽく描いて楽しい。僕の場合「景清」の聴き所はこの2つの場面であり、この場面を丁寧かつ陽気に演ってくれて、正直ホッとした。
ただ、定次郎に妻がいるという設定は、独身男が若い娘にちょっかいを出すのと違ってかなり生臭い。ここは意見が分かれるところだろうが、仏罰が当たる必然性から見れば、また、人情噺の色を薄めようとすれば、この方が喜多八らしいとも言える。まあ、目が見えなくなってからの妻に「お初にお目にかかります」とサゲる以上は、母ではなく妻の設定にするしかないわけだが。