志らく百席

横浜にぎわい座にて

志らら 「権助魚」
志らく 「親子酒」
志らく 「長屋の花見
仲入り
志らく  名言集
志らく 「ねずみ穴」

「親子酒」。若かりし頃、酔っ払った談春を家に泊めたら、大事にしていた馬生師匠のカセットテープに談春がゲロをしてしまったという話をマクラに振る。馬生好きな僕としても、その悲しみと怒りはよーく分かる。何の噺が入っていたテープだったのか? 「一番大事にしていた」と言っていたから、市販ではなくラジオ放送を録ったものかもしれない。そのテープが無事だったことを祈る。
さて本編、親父の狂ったような酔い方は志らくならでは。

長屋の花見」。卵焼きとかまぼこに加えてマグロにイクラまである豪華な(?)料理。観客のほとんど誰もが知らないであろう歌をやけくそ気味に歌う花見の場面。両方とも馬鹿馬鹿しくって楽しい。
1月の「百席」で演った「金の大黒」は貧乏長屋の貧乏さがとてもよく出ていたが、「花見」の貧乏長屋はもう少し余裕があるように感じられた。1枚しかない羽織を回しっこするというせせこましさに比べて、まがい物とは言え、一応は桜の下で食べ物にありつけているという噺の性格によるものなのか。
代わりに、大家の嗜虐的な描き方が可笑しい。志らくの演じる大家には「まがい物を飲ませ食わせて申し訳ない」という気持ちはほとんどないように見える。「飲め」「食え」「歌え」と命令するS大家と「勘弁してくれ」と言いながらその状況を結構楽しんでいるM店子。満開の桜の下で繰り広げられる集団SMプレーの趣。

「ねずみ穴」。志らくで聞くのははじめて。

この噺に出てくる兄貴は、けちで自分勝手な男なのか、一見そう見えるが深慮の末に弟を立ち直らせた本当は思いやりのある人間なのか。それをどう受け取るかは聞き手の自由だが、僕としては前者を取りたい。

放蕩の末に父親が残した財産を食いつぶした弟に、苦労して稼いだカネなどやりたくない。だから3文だけ渡した。ところが、弟はその3文から見事に立ち直った。10年ぶりにたずねてきた弟にどう相対するか。「お前のからだには茶屋酒の味がしみ込んどる。それに5両渡したところで、2両がとこ使って、残り3両で商売を始めればええと考えるだろ・・・」といった兄の話は後付の理屈であるはずだ。人間は過去を都合よく脚色する。兄弟といえども大事なカネはやりたくない。ただそれだけのことだが、一人前の商人になった弟を前にして、この兄は自分の行為を弟を奮発させるための愛の鞭であったと自分でも半ば信じ込んでいるのではないだろうか。

と、以上のような感想を持ったのは談志の「ねずみ穴」を聞いたのがきっかけである。談志の「ねずみ穴」は、人間というものわけの分からなさ、人生というものの不可解さを見事に描いている。

師匠がここまで深い噺にしたものをどう演るか。
志らくの「ねずみ穴」は真っ当だった。普通に噺に引き込まれた。サゲも改変も良かった。ただ、談志の「ねずみ穴」を聞いた時のような衝撃はなかった。志らくにはこの噺をもっともっと変えてほしい。