落語教育委員会

なかのZERO小ホールにて

林家きくお  「牛ほめ」
三遊亭歌武蔵 「五人廻し」
仲入り
柳家喜多八  「笠碁」
柳家喬太郎  「路地裏の伝説」

「五人廻し」は廓噺の代表的なネタだが、実際の高座を見る機会は少なかった。これまでは志ん朝と喜多八の2回。歌武蔵の「五人廻し」はとてもオーソドックスでしっかり聴かせた。女郎屋で待ちぼうけを食らう男たちの演じ分けもよかった。
歌武蔵は軍人風の男に女郎屋を訪れた理由を語らせた。妻が夫人病を患い、やむを得ず妻の了解のもと登楼したという件だ。これは喜多八の「五人廻し」にもあったセリフ(志ん朝のにはなかった)。どうもこのセリフは引っかかる。性欲処理の術がないゆえ妻の了承を得て女郎を買うという設定は、あまりにも非現代的だ。明治大正期であれば、この設定がリアルだったのかもしれず、今はもうない廓の噺だからそれもありという考え方もできるかもしれないが、現代の聞き手には違和感を抱かせる。はっきり言って、気持ちの悪い設定である。
確かに今はもう吉原遊郭はない。だが、風俗産業の本質は「五人廻し」の時代と変わりはしないだろう。指名したキャバクラ嬢が5分もしないうちに他のテーブルに行ってしまい戻ってこないなんていうのと同じだ。だからこの噺は、今はなき廓の雰囲気を伝えるという演じ方よりも、今の時代も変わらない悪所通いをする男たちの期待や悔恨や悲しみをカリカチュアライズする方向でこそ、現代に生命力を保ちえると思う。

「笠碁」。喜多八お見事。首を振りながら雨の中を歩くところをしっかりと演じる柳家の「笠碁」だった。「うどん屋」や「にらみ返し」や「あくび指南」など、小さん・小三次が十八番にした噺を喜多八は本当にきちんと自分のものにしている。二人の旦那の演じ方にコントラストをつけてとても立体的な噺になっていた。

喬太郎。長い長いマクラで、歌武蔵、喜多八とともに東北を回った公演旅行での出来事を語る。特段のドラマがあるわけではないのだが、こういう他愛もない日常を面白おかしく聴かせることにかけてこの人の右に出る人はいないかもしれない(ただし鶴瓶だけは例外)。似たような面白さは志の輔にも感じるが、志の輔が語る日常のひとコマは相当に作り込んだものだろう。喬太郎の話芸には対照的にアドリブの才能を感じる。
さて本編。父親の七回忌で帰省した男のもとに旧友が集い、子供時代の思い出話に花が咲くという設定。やがて話題は子供の頃に流行った都市伝説に。「そう言えばさあ、鳩サブレを頭から食べると鳩になるっていうのがあったよね」。この微妙なニュアンスはいかにも喬太郎だ。同世代人なら「そうそう、それってすごく分かる」と膝を打ちたくなるリアルなセリフとそこはかとなく漂う詩情。喬太郎ワールドを堪能の一席。