平成特選寄席

赤坂区民センターにて
立川らく次 「雛鍔」(遅刻して聴けず)
立川志の吉 「看板のピン」(途中から)
柳家花緑  「天狗裁き
仲入り
立川談笑  「薄型テレビ算」
柳家喬太郎 「路地裏の伝説」

 国宝の孫は、もう一人の国宝から教わったと言う「天狗裁き」を演じた。
 その花緑「今日は上方の噺を」と言っていたのが気になった。米朝は、先代馬生の「天狗裁き」を聴き、その前半部分を独立させて現在の「天狗裁き」を作ったと言われる。志ん生・馬生の「天狗裁き」は音源が残っている。「どんな夢を見てたんだい」と問う女房と「夢など見ていない」と言い張る亭主の間で喧嘩が始まり、次に仲裁に入った隣家の男も夢を聞きたがって喧嘩になり、次に大家、奉行、天狗とエスカレートしていく筋立ては同じである。その後、天狗の羽団扇を騙し取った男が病気に苦しむ庄屋の娘を助けて祝言を挙げた場面で夢から覚めるて終わるわけだが、この部分を捨てて前半を膨らませたのが米朝の演出だ。亭主の夢を聞きたがる(天狗も含めた)男たちは皆「そんな詰まらないことで喧嘩をするんじゃない」と呆れ顔をしながら、その実二人だけになると「俺にだけは話せ」と迫ってくる。この繰り返しはいかにも人間味に溢れていて秀逸だし、最後に再び女房に「お前さんどんな夢を見ているんだい」と言わせてストーリーを無限ループ閉じ込めるサゲもいい。この噺の演り手が増えたのは間違いなく米朝の演出のおかげだろう。
 落語辞典の類によると「天狗裁き」は上方種に分類されることが多いようだが、現在演じられている「天狗裁き」は上方落語というより「米朝噺」と言うべきものだろう。そして米朝がこの噺を復活させられたのは、先代馬生がほとんど演り手のいなかった「天狗裁き」をコツコツと高座に掛け続けたからだ。「今日は広い意味で全員柳家一門で」と東京落語の流派の歴史に言及する以上、そして国宝の孫にして東京落語最大派閥の御曹司である以上、家禄は、噺の来歴にもう少し敬意を払ってほしいと感じた。「天狗裁き」は「上方落語で」と処理するには、あまりに豊かな歴史をまとっている思う。単に上方から江戸に移植されたというような噺ではない。東西を行き来しながら、一旦は消えてなくなりそうな時期も経て、大きく変化し磨かれた噺である。
 そんな説明をしたって客は退屈だろうと花緑は判断したのかもしれない。でも、トリに登場した喬太郎がマクラで、かつて西武線に出没した「ラッキーおじさん」(マナーの悪い若者を叱り付ける着物姿の初老男性。その姿を目撃すると一日幸せになると言われた)の正体が故・桂文治であると話した時のウケっぷりを思うと、この落語会に集まる客はかなりマニア度が高い。そんな客相手に「米朝直伝の上方噺」と言うだけでは、米朝以前の「天狗裁き」を江戸落語で聴いたことのある者には???だし、米朝好きな客にもムムムだろう。「天狗裁き」をやるだけなら、兄弟子の権太楼から教わってもいいわけだし。「なんだ国宝二段重ねのブランドを自慢したいだけ?」なんて意地悪な感想を持ってしまった。噺の出来自体は良かったけどね。  
 なんてことを落語好きの友人に愚痴ったら「単に(花緑が)知らないだけじゃない」という恐ろしいお答えが返ってきた。そうでないことを祈る。

 談笑、喬太郎、ともに自分のワールドを全面展開させた楽しい高座。ロジックの談笑、リリシズムの喬太郎といった趣。