立川談志一門会

練馬文化センター大ホールにて
立川談春 「替わり目」
仲入り
立川談志 「源平盛衰記

開演時間になってようやくオフィスを抜け出せ、小一時間かけて練馬へ。ホールに入るとすでに談春「替わり目」の亭主は女房相手に酒と肴をねだっていた。というわけで、志の吉「看板のピン」と談笑「イラサリマケー」を聞き逃す。
それにしても大ホールの2階席は急勾配で、上空斜め45度から演者を見下ろしている感じ。なかなか噺の世界に入っていけない。おたおたしているうちに仲入りに。
談志登場。「源平」を演ると言う。声が出ずスピードもくなった今の談志の源平とあらば、どんな按配になるかは容易に想像できた。加えて固有名詞まで出てこないこの日の高座は、形式だけを見れば、「残骸」だろう。でも、僕を含めて今談志を聴こうとする客のほとんどは、談志自身が言う「うまい」とか「おもしろい」という形式以外の何かを求めているはずである。「ドラミング」のごとき源平ならば昔の録音を聴けばよい。では「デンデン太鼓」の源平に何を感じたか。
志ん朝の死に際して、談志は「いい時に死んだ」と言った。老いによって形式を維持できなくなる実感がなければ、そしてそれが現実になった時の苦しみを痛いほど予感していなければ、この言葉は出てこないだろう。ただし、自分には形式を超越して客をうならせる己の世界があり、それによってまだまだ落語を進化させられるという自負が談志にはあった。そして確かに、60代の談志はそういう落語を聴かせてくれた。肉体の衰えをしょっちゅう口にしていた60代の談志だが、実は落語の形式においてほとんど衰えておらず、場合によっては若い頃よりも冴えていたのではないか。60代談志の「もうダメー」は全然ダメじゃなかったのではないか。この日の源平に接して、逆説的にそんなことを思った。すなわち、形式の衰えが談志落語に与えるダメージの大きさをこの日の源平に感じたのだ。
「酷いものを聴かせて申し訳ない」と謝る談志は、しかし、「並みの落語家なら落語という傘の下にいれば安心できるのでしょうが、私は落語に帰属していなのです。立川談志に帰属しているのです」とも語った。想像を絶する苦悩の中でまだ戦おうとする談志から目が離せない。再びの奇跡があろうとなかろうと。
1時間かけてオフィスに戻る。