年忘れ東西落語名人会

中日劇場にて
桂団朝  「看板のピン」
立川談春 「紙入れ」
桂小米朝 「蛸芝居」
桂春團治 「代書」
仲入り  
桂米朝×桂小米朝 対談
柳家小三治「千早振る」

病膏肓に入ってクリスマスイブに名古屋まで遠征。「そういうことする?」という家人のもっともな異議申し立てに対して「悔いを残したくない」という意味不明な釈明の末、何とか無事に車中の人に。思い起こせば二ヶ月前、「白談春」の打ち上げの席でこの落語会の話題が上り、一も二もなく「行きたい」と声を揃えた四人組が、誰欠けることなく名古屋に集結。顔ぶれの豪華さゆえか、四人ともロクデナシということか。それはさておき、チケットを手配していただいたOさんには大感謝である。
団朝、お初にお目にかかります。キャリア20年の40歳が開口一番を務めるという贅沢さはこの落語会の性格を表している。江戸落語の「看板のピン」を上方に移したのは米朝師らしい。その弟子が演じたこの噺、典型的な鸚鵡返しネタだけに上方の味付けで油っこくなるかと思ったら、意外にも東京のそれよりもアッサリしていた。この面子の中、変な気負いもなくすっきりとまとめて快調な滑り出し。
続いて談春登場。この場に立てる喜びと緊張を口にするが、春團治米朝という上方の重鎮の中で、名古屋のお客に東京の落語家を見てもらうとしたら「やっぱりあなたでしょう」というのが談春ファンの偽らざる思いである。誠に迷惑な思い入れだろうが「満場1500人の客を驚かせておくれ」と期待してしまう。演者の方が冷静で「誰だこいつはと思ってらっしゃるお客様も多いようで…」と談春。確かにそうだったようで、思ったより笑いが少ない。高座はとてもよい出来だったのだが。
クリスマスイブに間男の噺をする。しかも、年齢層も高く上品そうなお客の多いこの席で。だからこそ談春というのは贔屓者のほくそ笑みで、初めて談春を聴いた善男および善女はやや戸惑ったかもしれない。
「旦那はね、外にお囲いがあるんだ。それはいいんだよ、男の甲斐性だってことは私は百も承知してるし、面と向かって妬いたことなんて一度もないよ。でもね、男は楽しんでいいが女はいけないっていうのは私は嫌いなんだ」
いかにも談春らしいセリフでおかみさんを造形する。これと同じくらい刺激的だったのは旦那と新吉のやり取りの場面で発した旦那の「おい、お前も笑ってないで何か言ってやれ」というセリフ。間男がばれるか否かという危ういやり取りを脇で聞いていながら、あのおかみさんはクスクスと笑っていたというのだから、これはもう役者が違う。こうしたセリフに僕はシビレる。彼の高座に接してその世界観に共感し、その後の高座を追いかけ、次の一席に出会っては「なるほどそう来たか」という喜びと驚きを繰り返す。その中で談春の内面をある程度理解したように(勝手に)思うファンならではの「いい出来」という感想なのかもしれない。談春は、聞き込むことによって楽しさが中毒に転ずるタイプの落語家ということなのかもしれない。その意味で1500人の客が揃って「いいな」(テクニックにおいては1500人の大半が「うまいな」と思うだろうが)と言うのではなく、今日初めて彼を聞いた客の一部が強く彼の噺の世界に引かれ、禁断症状に耐え切れず患者(東京まで遠征してしまうような)になるだろう。
お次は小米朝。あの明るさは大好きだ。談春が自意識過剰だとすれば、小米朝は無意識過剰。好きなことを好きなように演りましたという印象の「蛸芝居」。
さて、お待ちかね春團治。こうして「春團治」という文字を打っているだけで顔がほころぶ。これまで聴く機会がなく、初めて高座に接した。名古屋遠征の動機の半分近くはナマ春團治にあった。
「儲かった日も代書屋の同じ顔。川柳というものは面白いところに目を付けるもんで…」。ごくごく短い枕を振ってすぐに本題に入る。薄紫の着物の何と上品なことか。羽織を脱ぐ姿も美しく「うわ、カッコいい」と惚れ惚れする。「代書」は枝雀が爆笑編に変える前のオーソドックスな型。おそらく枝雀バージョンと比べたらクスグリの数は半分くらいだろう。だが、笑いっぱなし。目新しいクスグリがあるわけではなく、最初から最後まで“知っていること”だけで展開する構成なのだが、これだけ面白いというのは、もう(この上なく陳腐な表現になってしまうが)芸の力としか言いようがない。間、セリフ、仕草、顔技、すべてが繊細で抑制されている。それなのにこれっぽっちも地味ではない。むしろ何とも言えない色気さえ漂ってくる。悔しいが、あの高座をうまく表現する言葉を僕は持たない。1930年生まれの77歳というのが信じられない艶やかな高座である。もっと聴きたいな。大阪に遠征するしかないかな。とりあえず、家に戻って早速「極付十番 三代目 桂春團治DVD-BOX」を予約。
仲入り後会場に戻ると、舞台には座布団が二枚並んでいた。ああ、やっぱり落語は無理なのかと残念に思っていると出囃子が鳴り、米朝小米朝が登場。米朝の足取りはかなり怪しい。残念ではあるが、このメンバーの中で人間国宝が衰えを晒すのは酷だと思い直す。対談は米朝の師匠であり、息子小米朝が継ぐ米團治の思い出などなかなかに興味深い話。米朝いわく米團治は「うまくて」「売れなくて」「陰気」だった。
トリは小三治米朝小米朝対談で話題に上がった柳句会と俳句に関するマクラは楽しかった。自身の句を披露する。
「煮凝りの実だけ避けてるアメリカ人」(処女句)
「金玉のごとく椰子の実覗きけり」(バリ島への吟行で詠んだ句)
「下手なことは分かってます。でもね、うまくなろうったって無理なんだよ。うまい奴は生まれた時からうまいの。もうね、自分さえ分かればいいですよ、俳句なんてのは」と愚痴とも開き直りとも取れる句に対する思いをつらつらと重ねるのが、わが身に重なり楽しい。最後までマクラだけでも良かったくらい。