月例 三三独演

内幸町ホール
柳家三三 「蔵前駕籠」
柳家三三 「茶の湯
仲入り
柳家三三 「豊志賀」

見事な「豊志賀」。
新吉・お久の寿司屋での逢瀬の場面、頭を上げたお久の顔が豊志賀そっくりの醜い相貌に変わって、声のトーンも一段と低くなり「新さん、お前さんは不実な人だねぇ」と言う場面は、大げさでなく背筋がブルっと震えた。このセリフだけでチケット代の価値は十分にあった。三三の声の表現力は掛け値なしに凄い。
豊志賀と新吉の人物造形もいい。男女の仲になった後、新吉と豊志賀の関係性は変わる。経済的には豊志賀に負ぶさっている新吉だが、惚れられた強みで新吉が上に立つ。多くの演者は、豊志賀が醜く変わって嫉妬の炎を燃やした後も、この関係性を持続させた形で二人を描く。お久と新吉との仲を疑い恨み言を言い募る豊志賀を、新吉はかなり強い言葉で諌めるというのが、よく聴くパターンだった。
だが、三三の豊志賀は新吉に看病されながら、まるで負い目がないかのごとく新吉をなじる。寿司屋の場面、新吉の「師匠はおかしくなっちまった」というセリフが「その通り」と思えるほど、豊志賀の嫉妬ぶりは異常であり、新吉はそれをただただなだめるしかない。この両者の描き方は恐怖感を盛り上げるうえでとても効果を上げていた。新吉は醜く変貌してしまい、まるで道理の通らなくなってしまった豊志賀が怖くて面倒で仕方ない。新吉にあるのはそこから逃れたいという一心だけで、お久は逐電するためのきっかけに過ぎないのではないかと感じるほどである。それゆえ新吉の「不実」が余計に浮かび上がる。
三三は、豊志賀が新吉で「初めて男を知った」と語った。これは意外だった。39歳の男嫌いの富本の師匠。これまで僕がイメージしていた豊志賀にバージンという発想はなかった。父・皆川宗悦を惨殺された後の寄る辺なさを思えば、豊志賀にその年まで男がいなかったとは考え難かったからだ。若い頃に男で苦労して、ゆえに男はもうたくさんという意味での身持ちの固さだとイメージしていた。だが、三三のこの設定は面白い。39歳にして始めて知った男が21歳の新吉。「亭主のようであり、色のようであり、息子のようであり、弟のようであり。新吉が可愛くって仕方ない」。豊志賀の異常なまでの執着と嫉妬は、新吉を初めての男とすることで、さもありなんと思わせる効果を生んだ。
寿司屋のシーンの後、大門町の叔父さんの家に駆け込む場面からは、畳み掛けるようにストーリーを展開させる。スリリングなシーンの連続はこれまた見事。様々に工夫をほどこした三三版豊志賀に拍手拍手。