柳家喬太郎、笑福亭三喬 東西二人会

国立演芸場にて
笑福亭三喬 「近日息子」
柳家喬太郎 「錦の袈裟」
仲入り
柳家喬太郎 「孫、帰る」
笑福亭三喬 「仏師屋盗人」

安倍首相辞意表明の日も落語に行く。

三喬さんはお初に聴きます。松喬のお弟子。
どうも最近、一席目に寝てしまうことが多く、今日もマクラが終わって噺に入って間もなく、うつらうつらと。半睡のまま気がついたらサゲに。
背筋を伸ばして喬太郎の「錦の袈裟」。この与太郎、ぼーっとしていない。表情豊かにペラペラとお馬鹿なことを主張する。同じ町内の友達との付きあいで行きたくない吉原に行かなければならないのだと、さもうれしそうにかみさんに説明する与太郎が可笑しい。むらさき花魁とのめくるめく官能の一夜を過ごした翌朝、与太郎は清々しくも満ち足りた精神状態を、理路整然としてかつ情緒豊かに町内の連中に語る。突然キャラが変わった与太郎に、連中は「与太郎が利口になっちゃたよ」。だが、すぐに元の与太郎に戻る。新しい与太郎像に大笑い。着想はアルジャーノンか?レナードか?
中入りを挟んで再び喬太郎。小品の新作は細部に神経が行き届いていた。田舎家の屋根の上での会話進行は、そこから見えるであろう残暑ののどかな田園風景が浮かんでくるようである。祖父の体を心配して「煙草止めなよ」とせがむ孫のセリフは伏線となり、孫の帰った後、祖父が新しい煙草に火をつけようとして思い直し、二つに折って捨てる場面につながっていく。あざといと言えばあざといが、泣きのツボを押さえたストーリーテリングはやはり見事。
「仏師屋盗人」。この噺、実に久しぶり聴いた。間抜けな盗人と盗人にまるで動じない男というのは泥棒噺の典型だが、男が居職であるというのが、この噺を面白くしている。盗人に仏像の修理を手伝わせる場面はしみじみ可笑しい。三喬の語り口は、上方の噺家としては珍しいほどエグさや喧しさがない。この語り口は泥棒噺にはとてもよくマッチする。ヒソヒソとそして脅しの場面では低くドスを利かせて話す盗人に対して、まるで怖がらずのんびりと対応する男。全体的にトーンを抑えた演出が、この噺ではとても効果を上げていた。上手いな。何で一席目に寝てしまったのだろう。とてももったいないことをした。
プロフィールによると、三喬さんは兵庫県西宮市出身。兵庫と言えば、米朝は姫路、枝雀は神戸、師匠の松喬も小野だ。この人たちの語り口は、例えば、春団治文枝のような大阪の中心で生まれ育った人たちの、これぞ上方落語といった感じの艶やかな言葉とは微妙に肌触りが違う気がする。さらに言えば、南光や鶴瓶のような(関東の人間がイメージする)クセの強い関西弁というのとは明らかに違う。東京の落語と比べて聴いている回数が全然少ない上方落語だけに、うかつなことは言えないけれど、聞き込んで行けば、演者の出身地による語り口の系統のようなものが分かってくるかも。