談春七夜アンコール「緋」

にぎわい座にて

立川こはる 「かぼちゃ屋
立川談春  「厩火事
立川談春  「たちきり(上)」
仲入り
立川談春  「たちきり(下)」

こはるちゃん、着実に上手になっている。前座さんが少しずつ成長していく姿をこうして目撃できるというのはうれしいもんだなあとしみじみ感じる。

なんと長い「厩火事」か。噺に入って10分経っても(時間を計ってはいませんが、そんな感じ)モロコシも麹町も出てこない。
おさきと兄ィの掛け合いが抜群。「女房妬くほど亭主モテはせずってな。お前が婆さんになった時には、あいつだって爺ィだろ。カネもねえ甲斐性もねえ爺ィを何で若い娘が相手にするよ」と正論をぶつ兄ィに、おさきが女から見たモテ男論で反論する。これ最高。「カネも地位も名誉も手に入れて、何でも俺に聞けってどっしり構えた男なんていうのは、ちょっと物が分かる娘ならちゃんと見抜くの。このあたり(と言って眉の上を指し)に嫌に油っこいものが浮かんでくるのよ。そういうのは相手にされないの。でもね、うちの人はカネも甲斐性もなくて、男っぷりがいいでしょ。そういうのがぼんやり縁側に佇んでいるのを見ると、若い娘は、あらあのおじさん渋いなんて思っちゃうの」(記憶を辿り辿りなので不正確極まりない引用です)。惚れているがゆえの相当に我田引水なおさきの論理に「お前の話は面白いな」とうなずいてしまう兄ィに強く共感。そう、男は女の語る「女は男のどこに惚れるのか」論に弱い。
「若い娘を連れ込んで私の目の前でイチャイチャしても・・・」のくだりは息もつがずに一気呵成。「おまえ、絶好調だな」という兄ィのセリフはまるで喬太郎風メタ古典の趣。「唐土、学者、孔子」を「トウモロコシ、役者、幸四郎」に取り違えるスタンダードくすぐりはしつこいくらいにやって、「白馬」以降は「言っとくが白馬って言っても濁酒じゃねえぞ」と釘を刺し、おさきに笑いを取らせない再びメタ落語的な処理で沸かせる。でも、おさきは黙っていない。「そういう頭のいい人って怒ると怖いのよね」と白馬を焼死させた家来を孔子が、抱き石と水車でいたぶる妄想をしゃべりまくる。ここもまるで喬太郎版「お菊の皿」のSM場面のような壊れっぷり。この後が「たちきり」だからか、名作「厩火事」をどんどん原型から逸脱させ、爆笑編に仕立てていく。
二人の掛け合いを聞いていて思ったのは、この二人滅茶苦茶仲がいいじゃないかということ。おさきの、人の話を黙って聞けず、つい状況を忘れて自分の生理と論理をわめきたててしまう性格を、兄ィは「うるせぇ」「黙ってろ」と言いながら、その実、楽しんでいるように見えてならない。おさきも相手が兄ィだと、話しやすくてどんどん図に乗ってしまうように映る。この二人、相性抜群じゃなかろうか。いっそ亭主と別れて一緒になれば、楽しい夫婦になるんじゃないかと思ってしまった。

「たちきり」。そのうちきちんと書こうと思う。談春版たちきり、僕にとっては番頭こそが肝なのだ。