喜多八膝栗毛 秋之巻

博品館劇場にて

柳家ろべえ 「道灌」
柳家喜多八 「片棒」
仲入り
大田その・松本優子
柳家喜多八 「茄子娘」
柳家喜多八 「品川心中」

三席とも喜多八で初めて聴く噺。満足満足。

「片棒」は次男銀の囃子の場面が喜多八に合いそうもないなと思っていたのだが、なかなかどうも人に合った処理をしていた。小朝や市馬のように祭囃子を明るくたっぷり聴かせる底抜けに明るい銀次郎もいいが、喜多八の銀も気に入った。小朝のがその典型だろうが、他の多くの噺家も銀はミーハー全開で演じる。ところが、喜多八の銀はマニアという感じ。チャンチキチャンチキ♪と言いながら、心から楽しんでいるふうでない。もうひとつ裏がありそうな人物に映るのだ。陽気で能天気に見せながら鬱屈を隠しているとでも言うか。小朝の銀とは友達になれそうにないが、喜多八の銀とは一緒に仲へ繰り出したい。
仲入り後、「永遠ちはや」名義で登場。好きな噺なんですと言って「茄子娘」に。前回夏之巻の「おすわどん」の時と同じく、こういう馬鹿馬鹿しい噺はほんとうに喜多八に合うと感じた。この後どうなっていくのかと様々に想像を巡らせられる骨格のしっかりした物語世界を地口でストーンと落としてしまう無責任さ。軽くて楽しくって言うことなし。
「品川心中」。喜多八キャラを反映したお染はギラギラした必死さを感じさせない。幕末太陽伝の左幸子の印象が強いせいか、お染というと過去の栄光を忘れられずにいる負けず嫌いの勝気な女を想像してしまうのだが、喜多八お染は投げやりで蓮っ葉に見える。見栄を張ることにそれほど必死じゃないように映る分、金ちゃんが心中に同意するくだりは説得力が弱まるのだが、逆に、どうでもいいやという風情のお染にいいようにされる金ちゃんへの哀れさが増す。喜多八はほんと自分のキャラに合ったストーリー構成と人物造形をしてくるのなあ、とまたも贔屓目で感心することしきり。